大中寺 七不思議

【だいちゅうじ ななふしぎ】

大中寺ははじめ真言宗であったが、延徳元年(1489年)に領主の小山氏が快庵妙慶を招いて曹洞宗に改宗された。その後、徳川家康の関東移封後には、曹洞宗の関八州僧録職(人事統括)に任ぜられ、さらに関三刹の1つとして全国の曹洞宗寺院を管理する寺院となった。同時に曹洞宗の徒弟修行の道場として栄え、多くの雲水を抱える大寺院でもあった。

上田秋成の『雨月物語』にある「青頭巾」の話は、快庵妙慶の大中寺再興の伝説であり、また“大中寺七不思議”の1つ【根無し藤】として有名である。

当代の住職は、旅の折に連れてきた稚児を仏事を疎かにするほど可愛がっていたが、その稚児が急の病で亡くなると、遺体を葬らず、ついにはその肉を喰らい尽くして、鬼と化してしまった。諸国行脚の身であった快庵は、その話を聞くと寺に赴き、一夜の宿を求めた。鬼と化した住職は夜半に快庵を喰らおうとするが、その姿を見つけることができず、己の浅ましい所業を悔いて懺悔した。快庵は住職に青頭巾を被せ、一つの句を与えてその意味を考えるよう諭した。そして翌年、快庵が再びこの地を訪れると、同じ場所に住職の姿があった。句を繰り返しつぶやく住職を見て、快庵は藤の木の杖で打ち据えると、たちまち姿は消えて骨と頭巾だけが残るのみであった。……そして手厚く住職を葬った快庵は、打ち据えた藤の木の杖を地面に突き刺して寺の繁栄を祈願したところ、根が生えて大木となったのである。

“大中寺七不思議”にはその他にも
【油坂】…ある学僧が夜間の勉学のために本堂の灯明の油を盗んでいたが、それがある時ばれそうになって逃げようとして誤って石段から転げ落ちて死んでしまった。それ以降、この石段を上り下りすると不吉なことが起こるとして、使用が禁じられた。
【枕返しの間】…本堂の一角にある座敷は、そこに泊まると翌朝には必ず頭と足の向きが逆さまになってしまうという。
【不断の竈】…ある修行僧が疲れのために竈の中に入って寝ていたが、それを知らずに火をつけてしまい、修行僧は焼け死んでしまった。その後、夢枕にその修行僧が現れ「火さえついていればこんなことにはならなかった」と言ったため、それ以降は火を絶やさないようにした。
【馬首の井戸】…近隣の豪族・晃石(佐竹)太郎が戦に敗れて、大中寺に逃げ込んだ。しかし住職は匿うことを拒否したため、晃石は恨みに思って馬の首を切り落として井戸に投げ込み、自身も切腹して果てた。それ以来、その井戸を覗き込むと馬の首が浮かび出るとか、いななきが聞こえるとか言われるようになった。
【開かずの雪隠】…晃石太郎の後を追って奥方も大中寺に逃げ込んだが、夫の死を知ると、雪隠へ籠もってその場で自害した。それ以来、その雪隠には奥方の生首が現れると言われた。
【東山の一口拍子木】…大中寺の東にある山の方から拍子木の音が一回だけ鳴ると、寺に異変が起こると言われる。ただしその音は住職以外には聞こえないという。

<用語解説>
◆快庵妙慶
1422-1494。曹洞宗の僧侶。京都・美濃にて学び、越後へ赴く。その後、小山重長に請われて大中寺を再興する。

◆上田秋成の『雨月物語』
安永5年(1776年)刊。怪異小説9編から成る。同じ話が小泉八雲の『怪談』にも収められている。

アクセス:栃木県栃木市大平町