御辰稲荷神社

【おたついなりじんじゃ】

平安神宮の北側に位置する小さな神社である。元々この辺り一帯は“聖護院の森”と呼ばれており、この御辰稲荷もその森の中に建てられたという。

宝永年間(1704-1710年)、東山天皇の側室・新崇賢門院の夢枕に白狐が現れ、「禁裏御所の辰の方角(南東)に森があるので、そこに祀ってほしい」と言って消えてしまった。翌朝人に尋ねると、御所の辰の方角に森と言えば“聖護院の森”であろうということで、さっそく森の中に祠を建てた。これが今の御辰稲荷の始まりとされている。当然のことながら、名前の由来は“辰”の方角という神託を受けたことにある。

御辰稲荷のご利益といえば、芸事上達である。『辰』という字が『達』に通じるということ、そして祀られている狐が琴が上手ということで、色街の芸妓さんらも多数お参りするらしい。実際、ここの御辰狐は“風流狐”として宗旦狐と共に童歌にまで歌われており(「京の風流狐は、碁の好きな宗旦狐と琴の上手な御辰狐」)、かつて聖護院の森を通ると琴の音が聞こえたという話まで残っている。

御辰稲荷の境内には“福石大明神”という摂社がある。かつて、この御辰稲荷を信仰していた貧しい夫婦が百日の願掛けをした。満願の日にふと境内で寝てしまい、目が覚めると黒い小石を握りしめていた。授かり物としてそれを神棚に祀ると、その後可愛らしい女の子が生まれ、その娘がとある大名家の側室となり、親子共々幸せに暮らしたという話が残っている。『達』という字は、芸事だけではなく、全ての願望を成就させる力がある訳である。

<用語解説>
◆新崇賢門院
1675-1710。第113代・東山天皇の典侍。第114代・中御門天皇をはじめ、東山天皇との間に5皇子1皇女をもうける。

◆宗旦狐
相国寺に住んでいた狐。千宗旦(千家3代目)に化けて茶席に現れることが多かったため、その名が付いた。江戸時代の終わり頃まで生きていたらしいが、お礼に頂戴した鼠の天ぷらを食べて神通力を失った途端、犬に襲われ、井戸に飛び込んで死んだという(異説あり)。

アクセス:京都市左京区聖護院円頓美町