慈忍和尚廟

【じにんかしょうびょう】

比叡山四大魔所の一つ、慈忍和尚廟は比叡山の中心地・三塔からかなり外れた場所にある。比叡山の一番奥にあたる横川から 坂本方面へ下ること約2キロのところに飯室谷という場所がある。飯室谷は“延暦寺五大堂”の一つである飯室谷不動堂があり、観光スポットとなった三塔と比べると小規模ではあるが、比叡山では重要な場所と目されている。その地に慈忍和尚廟はある。

慈忍和尚は僧名を尋禅といい、18代天台座主である慈慧大師(元三大師)の高弟であり、後に19代の天台座主となった人物である。座主に就いてからも修行に明け暮れ、その姿は多くの僧の励みになったという。

そのような名僧の墓所が【魔所】として挙げられているのか。それには次のような伝説がある。

自らも修行三昧であった慈忍和尚は亡くなってからもことのほか戒律に厳しく、一つ目で一本足の妖怪と姿を変えて、『山僧よ、僧の本分を忘るるなかれ』ということで夜な夜な破戒の僧を見つけては鉦を叩いて脅しつけ、山から下りざるを得ないようにさせたというのである。つまり比叡山の格式を守るために“魔道の者”として妖怪の姿へ変化させたのである。自らを魔道に貶めつつ、比叡山を守り固めようとするその凄まじい思いは何とも言い難いものがある。それ故、畏敬の念を持って慈忍和尚廟は聖域となり、また魔所となったわけである。

東塔の根本中堂を少し下ったところに総持坊という寺院がある。その坊の玄関にある額を見上げると、そこに“一眼一足”の妖怪の姿が描かれている。これが慈忍和尚の変わり果てた姿である。そして玄関の脇には慈忍和尚が山を回る際に使った杖が立てかけられてある。

<用語解説>
◆尋禅
943-990。第19代天台座主。諡号は慈忍。藤原師輔(右大臣。兼家・道兼の父、道長の祖父)の十男。母は雅子内親王(醍醐天皇皇女)。父の縁で良源(元三大師)の弟子となり、良源の死後に天台座主となる。

アクセス:滋賀県大津市坂本町飯室谷