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與次郎稲荷神社
(よじろういなりじんじゃ)
山形県東根市四ツ家
 特徴的な石造りの鳥居(最上三鳥居の1つ)のある神社である。この神社は與次郎という名の狐が祀られている。
 佐竹義宣は関ヶ原の戦いにおいて東西どちらにも与せず傍観を決め込んだため、徳川家康によって常陸から秋田へと転封となった。秋田に赴いた義宣は早速城を造ったが、その最中に夢枕に白狐が現れ、古くより城を建てている場所に住んでおり、土地の一角に住まわせて欲しいと願い出た。義宣は快諾して住処を与えたところ、白狐は那珂與次郎という名の飛脚に変じて義宣に仕えた。そして秋田と江戸をわずか6日間で往復するという離れ業を使って江戸の情報をいち早く秋田に伝えたり、時には幕府の隠密の動きを封じたりと、御家安泰に一役買ったのである。
 その與次郎が宿としたのが、六田村(現・東根市)にある間右衛門の宿であり、いつしか娘のお花と恋仲になった。與次郎は自らが白狐の化身であるとお花に告白したが、二人の仲は変わらなかった。
 しかし與次郎の存在を疎ましく思う者が現れだした。佐竹家の動向を探っていた幕府が與次郎飛脚の秘密に感付いたとも、與次郎の働きで仕事にあぶれた六田村の飛脚達だとも言われる。その者達が、宿の主人の間右衛門を金で抱き込み、さらに與次郎を快く思っていなかった猟師の谷蔵も加わり、與次郎を亡き者にしようとした。
 その悪事を知ったお花は與次郎に危急を知らせた。與次郎は難を逃れたかに見えた。しかし罠として置かれた油揚げ(鼠の天ぷら)を仲間の後難を恐れて始末しようとしたところを、谷蔵の矢によって射抜かれてしまったのである。最後の力を振り絞った與次郎は、義宣の状箱を秋田に向かって投げ、そして事切れてしまった。
 お花は與次郎の遺体を見つけ、それを葬った後いずこともなく去り、二度と六田村には戻らなかった。そして城の松の木にぶら下がった状箱を見つけた義宣は、六田村で與次郎が殺されたことを知って涙したという。
 六田村ではその後災厄が立て続けに起こった。谷蔵は突然発狂して妻子を殺して自身も死んでしまった。そして村を疫病が襲い、多くの人が亡くなった。さらに怪火によって村のほとんどが焼けてしまったのである。残った者はこれを與次郎の祟りと恐れ、ついには幕府の命によって慶長16年(1611年)に與次郎稲荷を建てたということである。
 佐竹家では尊崇篤く、久保田(秋田)城内にも與次郎稲荷神社は建立された。参勤交代の折にも、四ツ家にあるこの與次郎稲荷神社にも代々藩主が参拝したとされる。
<用語解説> 
佐竹義宣
1570-1633。慶長7年(1602年)秋田へ転封。翌年に久保田城を造築する。

秋田での與次郎伝説
上記の伝承は山形県で語られているものであり、秋田では多少内容が異なる(戦前の秋田神社宮司の証言とのこと)。
六田村の谷蔵が、與次郎の不思議な能力から狐であると見破り、間右衛門と謀って鼠の天ぷらを使って殺そうとする。與次郎は正体を見破られたことを恥じて、敢えて罠に掛かったとされる。
谷蔵と間右衛門は狐を叩き殺して汁にして食べたが、その後六田村では怪事が起こり、発狂乱心した上で死んだ者が17名にも及んだ。特に谷蔵と間右衛門の最期は凄惨を極めたという。その噂は幕府の耳にも届き、與次郎の霊を鎮めるために八幡神社を建立した。
秋田の伝承では、お花という娘は登場せず、狐の祟りが強調されるという内容になっている。
<関連伝承地>
与次郎稲荷神社(秋田県)

與次郎稲荷鳥居

與次郎稲荷神社

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