密厳院 お七地蔵

【みつごんいん おしちじぞう】

天和3年(1683年)3月29日に八百屋お七は鈴ヶ森で火刑に処せられた。本来ならば処刑された者をただちに懇ろに葬ることは認め られていないのだが、なぜかお七だけは異様な早さで供養が施されている。複数の伝承によると、裁いた奉行が、罪を一等減じさせるためにわざと年齢を15にしたにもかかわらず、お七がそれを否定したので、火刑が決まったらしい。“未遂罪”という法的解釈がないために極刑が下されたようである。それも考慮に入 れると、わずか16歳という年齢と可憐な容姿に同情が集まったためだけではなさそうである。

鈴ヶ森からあまり離れていない大森の地に密厳院という古刹がある。そこにはお七の三回忌供養のための“お七地蔵”が置かれている。お七の実家のある小石川の住民が寄贈したものであり(ここからもお七の放火が大した被害を出していないことが判るだろう)、台座も含めると2mほどというかなり大きなお地蔵様である。

この地蔵菩薩の一番の特徴は何と言っても【振袖姿】であることだ。普通の地蔵菩薩でもかなり丈の長い振袖のような着物なのだが、それがさらに強調されているのが目立つ。お七といえば振袖姿がトレードマークのようなものである。実際の処刑の際も艶やかな振袖姿で臨んだという徹底ぶりである。その強烈な印象が、この地蔵菩薩に凝縮されているといって過言ではないだろう(ちなみにお七が起こした放火が“振袖火事”と呼ばれる大火であるとしている資料もあるが、それは史実として誤伝である)。

公式にはお七がこの寺に葬られていたために地蔵が建立されたとされているが(ただしお七の墓はこの密厳院には現在存在しない)、それとは別に奇妙な伝説が残されている。元々この地蔵は鈴ヶ森に置かれていたのだが、ある時一夜にしてこの大森の密厳院に移動したとも言われている。

アクセス:東京都大田区大森北