浄閑寺

【じょうかんじ】

浄閑寺。通称「投込寺」。安政の大地震の時に、新吉原の遊女の遺体が打ち捨てられるように数多く葬られたことから、この通り名で呼ばれる。一部では、吉原が出来た頃から病死した遊女の遺骸が投げ込まれてきたように言われているが、どうもそれは誤りであるらしい。

やはり【新吉原総霊塔】がまず第一である。『生まれては苦界 死しては浄閑寺』と詠まれた事実が全てを言い尽くしているように、死してもなお寄る辺のない遊女の霊を慰めるために建てられたのがこの総霊塔である。L字形になった墓地のちょうど角に近いところに総霊塔はある。花などの供え物も新しい、よく清められた場所のように感じる。

この浄閑寺であるが、新吉原の遊女に関係するもの以外にもいろいろと見所がある。

中でも不気味なのが【本庄兄弟 首洗いの井戸】というものである。親の仇である平井権八を追った本庄兄弟であるが、先に兄が平井の返り討ちに遭い、さらに兄の首を井戸で洗っていた弟もそこを襲われ命を落とす。仇討ちに失敗し、悲惨な末路をたどった兄弟の最期の地が この井戸である。

<用語解説>
◆吉原
幕府公認の遊郭であった吉原は現在の人形町辺りにあったが、明暦の大火の直後に現在の浅草寺裏の日本堤に移転した。そのため、現在の吉原は江戸期には新吉原と呼ばれていた。ちなみに浄閑寺の創建は新吉原移転より数年早い。

◆本庄兄弟の仇討ち
鳥取藩士の平井権八は、父の同僚である本庄助太夫を些細な遺恨から殺し、逐電する。遺児の助七・助八兄弟は江戸の三ノ輪に住んで権八の行方を追うが、逆に居所を知られ、助七は吉原田圃で斬られ、兄の首を井戸で洗っていた助八もその場で斬られ、仇討ちは成就しなかった。この平井権八は歌舞伎の「白井権八」のモデルとして有名。

アクセス:東京都荒川区南千住