源蔵松

【げんぞうまつ】

佐賀県内には多くの徐福にまつわる伝承が残されているが、その中でも最も有名なのが金立山に関するものである。

現在の諸富町あたりに上陸した徐福一行は、不老不死の仙薬を求めて北へ進んだ。目指すのは金立山である。しかしその途上はかなり難儀な行程であり、特に干潟のような土地であったために足元がぬかるんで歩行が困難であったとされる。そこで一行は持参した布をぬかるみに敷いて進んだ。そして千反の布を使い切ってようやく金立山を間近にした土地までたどり着いた。そこでこの土地を千布と呼ぶようになったという。

千布に着いた徐福一行は、その土地に住む源蔵という者の世話になった。源蔵は金立山への道をよく知っており、道案内を買って出た。そればかりか、娘のお辰に徐福の身の回りの世話をさせたのである。結局、金立山には徐福の求める不老不死の仙薬はなく、一行は再び別の地へと移動していったという。

徐福の世話をした源蔵はおそらくこの周辺の有力者であったと推測されるが、もはやその威勢を示す証拠はどこにもない。しかし、徐福一行を案内した記念に植えたという松が“源蔵松”と呼ばれ、何代にもわたって残されている。

<用語解説>
◆徐福
生没年不明。秦の始皇帝にまみえ、不老不死の仙薬を求めて蓬莱の地へ向かう許しを得る。そして3000人以上の人を連れて東国(日本)へ旅立ったとされる人物。日本においては佐賀県をはじめ、全国各地に上陸した伝説が残る。

◆不老不死の仙薬
徐福が金立山で見つけたとされるのが、カンアオイという日本固有の植物であり、咳止めの漢方薬として使われている。地元では“フロフキ”と呼ばれているが、これは“不老不死”の転訛であるとの説がある。

アクセス:佐賀県佐賀市金立町千布