金剛院 蜂塚

【こんごういん はちづか】

金剛院の歴史は古く、創建は天平勝宝の頃(749~757年)に行基がこの地に開いたとされる。霊光を探してこの地を訪れた行基を、老翁が珍菓で供し「この地は霊地である故に、ここに寺を建てるがよい」と言って天に消えたため、はじめは味舌(ました)寺としていた。しかしその後、境内にある蜂塚にまつわる霊異があったために、今では蜂熊山蜂前寺(はちくまさん・ぶぜんじ)という名になっている。

崇徳天皇の治世(1123~1142年)の頃、この地一帯を賊が荒らし回った。村の者(あるいは官兵)が賊に対して防戦するも次第に追い詰められ、最後にこの寺の本堂に逃げ込んだ。しかし命運尽きたと悟ると、蜘蛛の巣に掛かっていた蜂を助けて、本尊の薬師如来に善根を施したことを示した上で勝利を祈念した。すると、本堂が鳴動するや数万ものおびただしい蜂が出現して、賊を退治してしまった。そしてその時に死んだ蜂を集めて、塚に葬ったという。

異説では、この蜂による霊異は南北朝の頃とも、応仁年間(1467~1468年)とも言われる。蜂塚は現在でも本堂裏にひっそりとある。

アクセス:大阪府摂津市千里丘