ビリケンさん

【Billiken:びりけんさん】

大阪屈指の人気スポットである通天閣の展望台に鎮座するのが“ビリケンさん”である。通天閣のシンボルであり、同時に大阪発のキャラクターとしても有名であるが、元をただせばその生まれはアメリカになる。

明治41年(1908年)10月6日、ビリケンさんの姿はアメリカのパテントとして認められた。制作者はフローレンス・プリッツという女流の美術家。彼女が夢で見た不思議な人物の姿を絵にしたのが始まりであるという。その顔は東洋人を、そして全体の容姿はアフリカ人をデフォルメしたものであるとも言われる。(さらにその原型は、前年に発行されたカナダの雑誌に登場する、羽の生えた妖精の挿絵とも言及されている)。ビリケンという名前については、一説ではアメリカ大統領となったウィリアム・タフトの愛称から採られた(Billyの名に“小さい”という意味のkenを付けた)ものとされていたが、ブリス・カーマンというカナダの詩人の作品”Mr. Moon: A Song Of The Little People”から採られた名前であると指摘されている。

その後パテントが“the Billiken Company of Chicago”に売却され、本格的に商品化され爆発的な人気を得た。今の姿はこの時に確立され、そして“The God of Things As They Ought to Be”(万事あるべきままの神)すなわち“福の神”として、購入した者に幸運をもたらす神となったのである。また、投げ出された足の裏を掻くと幸運がもたらされるという特徴も付け加えられた。ただ人気は一過的であり、数年後にはアメリカでの流行は廃れてしまった。本国では、セントルイス大学・高校のスポーツマスコット、フリーメイソンに属する“Royal Order of Jesters”のマスコット、そしてアラスカの土産物に僅かに残っているだけとなっている。(この急速な流行の衰退には、1909年に発表されたキューピーが影響しているとの指摘もある)

ビリケンさんが日本にもたらされたのは、アメリカで登場した翌年の明治42年(1909年)である。最初は個人的な繋がりから広まったようであるが、ビリケンさんを明治44年(1911年)に商標として登録したのが大阪の繊維会社・田村駒株式会社(当時は神田屋田村商店)の田村駒治郎であった。七福神がビリケンさんを囲み「八福神」と銘打ったイラストを商品に添えるなどしで、“福の神”ビリケンさんは広まっていった。

そして明治45年(1912年)、大阪の新世界にルナパークという遊園地が出来た時、人気のあったビリケンさんの像を祀った“ビリケン堂”が敷地内に建てられた。これが現在通天閣にあるビリケンさんの“初代”とされている。しかし遊園地閉園後はその所在は行方不明となり、戦後に通天閣が再建された時にも登場しなかった。再登場は昭和54年(1979年)、通天閣ふれあい広場が作られる際に復活した。この時は田村駒株式会社にあるビリケン像が招かれ、その後この像をモデルにして安藤新平が作製した木像が2代目として安置されたのである。

平成24年(2013年)、通天閣のリニューアルと共にビリケンさんも3代目となっている。

<用語解説>
◆通天閣
現在のものは昭和31年(1956年)開業の展望塔。高さ108m。初代はルナパーク開園時に建てられたが、戦前に火事のために撤去されていた。

◆セントルイス大学
イエズス会系の私立大学。1818年開校。ビリケンさんがスポーツクラブのマスコットとなったのは、同校のコーチの容姿がビリケンさんに似ていたためとされ、現在も各スポーツチームの愛称は“ビリケンズ”になっている。

◆Royal Order of Jesters
1917年に組織された団体(その起源は1911年にまで遡れる)。モットーは”Mirth is King.”。そしてアイコンとしてビリケンさんを採用している。

◆アラスカの土産物
1909年以降、現地のエスキモーがマンモスの象牙などを用いて、ビリケン像を作り、民芸品として売り出した。

◆田村駒株式会社
明治27年(1894年)創業の繊維会社。本社は大阪市。現在でも会社のシンボルとして、大阪と東京の本社ビルにビリケン像が安置されている。

アクセス:大阪府大阪市浪速区恵美須東 通天閣内