鬼の釜

【おにのかま】

「桃太郎」に登場する鬼のモデルとも言われる温羅が住んでいたとされる鬼ノ城へ至る道は、車1台が何とか通れるほど狭い。その一本道を登っていく途中で否が応でも目に飛び込んでくるのが、錆び付いた巨大な鍋のような鉄器である。直径が1.8m、深さが1.4mという大きさである。

言い伝えによると、これは温羅が使用していた釜であり、攫ってきた婦女子で気に入らない者はこの釜で茹で殺して喰ってしまったとされている。まさに“鬼”と言われ怖れられた存在を印象付ける、強烈な伝説である。

ただしこの釜については、この一帯の歴史的変遷からその来歴が考察されている。この釜の原料となった鉄は、地元の阿曽村で採れたものであることが判っており、この付近の鋳物師が製作したものであると推測されている。またこの付近には、東大寺再建に活動した重源が築いた備中別所という施設があり、そこに使用された湯釜ではないかとも考えられている。

<用語解説>
◆温羅と鬼ノ城
伝説によると、温羅は他の地方(百済とも)から渡来し、吉備を治めたとされる。また吉備に製鉄技術をもたらしたともされる。大和朝廷は吉備津彦命を派遣して、これを成敗したとされる。これが後の「桃太郎」の話の原型と言われる。
鬼ノ城は温羅が本拠とした城であるとされるが、実際には663年の白村江の戦いでの敗戦を受けて、防衛のために築かれた古代山城ではないかとされている(ただし史書には具体的な記載はなし)。

◆重源
1121-1206。源平の合戦で焼失した東大寺再建をおこなう。責任者である勧進職に就き、造営料国に周防国を賜り、再建のために必要な経営実務もおこなう。その中で「別所」と呼ばれる施設を各地に設けて、布教にも力を入れた。
“鬼の釜=重源の湯釜”の説は、周防国の別所で重源が湯釜を設置したという記録が残っているため、他国の別所でも同じような施設を造営しているとの推測から来ている。

アクセス:岡山県総社市黒尾