筑摩神社 飯塚

【つかまじんじゃ いいづか】

現在は筑摩神社と呼ばれているが、かつては「八幡宮」と称しており、筑摩と安曇地方の総社とされていた。

創建は延暦13年(794年)。坂上田村麻呂によって石清水八幡宮を勧請したのが始まりとされる。伝説によると、坂上田村麻呂は、この地を荒らし回っていた八面大王を退治するために石清水八幡宮に参籠し、この地に八幡宮を祀れば大願成就するとの神託を受けて建てたという。そして見事に八面大王を退治した田村麻呂は、再び蘇らないように遺骸を切り刻んで各地に埋めたのであるが、その首は筑摩神社の境内に埋められたのであった。現在では、八面大王の首塚は“飯塚”という名で呼ばれている。

また一説では、泉小太郎(または小次郎)が湖の水を流して松本平を平地とした後、鬼賊を倒してその首を埋めたともされる。いずれにせよ、この飯塚は鬼の首を埋めて祀った場所とされている。

<用語解説>
◆八面大王
魏石鬼(ぎしき)とも言われる。鬼として民話化されているが、この伝説の元となった史実として、『仁科濫觴記』にある盗賊団“八面鬼士大王”の存在がある。

◆石清水八幡宮
貞観元年(859年)に、宇佐神宮より山城の男山に勧請され創建。平安京の裏鬼門に位置しており、王城守護・国家鎮護の役目を果たしているとされる。石清水八幡宮の創建が坂上田村麻呂の死後であるため、筑摩神社創建の由来は時代的に矛盾している。

◆泉小太郎
安曇野開拓にまつわる伝説的人物。白龍王と犀龍との間に生まれた小太郎は、母の犀龍と再会すると、湖の水を抜いて広大な土地を生み出すことを願う。そして母の背中に乗り、山清路の岩盤を打ち抜いて水を流した(現在の犀川)とされる。

アクセス:長野県松本市筑摩