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姫宮神社
(ひめみやじんじゃ)
長野県木曽郡上松町小川
 上松町の市街地から西へ進み、赤沢自然休養林へ向かう一本道の途中に木製の吊り橋がある。これが姫宮神社の入口になる。この神社の祭神は以仁王の姫君とされるが、悲劇的な伝説が残されている。
 平家全盛時に反旗を翻した以仁王は京都での戦いに敗れると、所領であった美濃国(現在の長野県木曽郡上松町付近)に逃げ隠れてしまった。それを聞いた娘の姫君は、弟宮を連れてこの地まで父を訪ねて下ってきた。しかし途中で平家方の武将によって、落人であると正体がばれてしまい、姫君は追われる身となってしまう。
 島という土地にまで逃げ、麻畑に身を隠した姫君であったが、土地の者は後難を怖れて追い立ててしまう。仕方なく姫はさらに西へ歩を進め、親切な里人の助けも借りながら身を潜めて峠を越えていった。だが越すことが出来そうにない淵を前にし、さらに追っ手の馬のいななきを耳にするに至り、姫君は覚悟を決めた。追われ続けたこの土地で、ほんの束の間だけ心を休めた時に、里の娘たちが唄っていた田植歌を思い出すと、見よう見まねで朗々と唄いだした。そして唄い終わるやいなや、目の前の淵に身を躍らせたのであった。
 それから間もなく、この淵のそばにある木々の間からやんごとなき若い女性が姿を見せるという噂が立った。おそらく亡くなった姫君であろうと、里人は慰霊のための祠を建てたという。それが姫宮神社の起こりであるとされる(あるいは姫を死に至らしめた追っ手の中に者が祟りを怖れて創建したとも)。また姫君に冷たい仕打ちをした島では麻を栽培しても育たなくなってしまったとも伝えられる。
 姫宮神社へ行くために設けられた吊り橋が架かるところ、そこが姫君が身を投げた場所とされ、姫渕と称されている。
<用語解説>
以仁王
1151-1180。後白河天皇の第3皇子。邸宅の所在地より高倉宮とも言われる。平家の圧力によって皇位に就けないばかりか親王にもなれなかったため、治承4年(1180年)、令旨を出して源頼政と共に挙兵する。しかし奈良へ落ち延びる途中、南山城村で討ち取られる。しかし、本人であるとの確証に乏しかったため、東国へ落ち延びという伝承が複数残される。
なお以仁王には娘があるが、東国に落ち延びたとされる者はおらず、京都で生涯を終えている。また上松町小川には“高倉”という集落があり、以仁王と源頼政が逃げ隠れたという伝承がある。
<関連伝承地>

姫宮神社

姫宮神社

姫宮神社

姫渕

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