鵜戸神宮

【うどじんぐう】

日向灘の断崖の中程にある海蝕洞窟の中に本殿が鎮座する。祭神は彦波瀲武盧茲草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)であり、この地が生誕の地とされている。

父である彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと=山幸彦)は、なくした釣り針を求めて海神の宮殿へ赴く。そこで出会った海神の娘である豊玉姫を娶った。3年間海の宮殿で暮らした後、山幸彦は釣り針を取り戻して、兄の海幸彦を打ち負かした。

それからしばらくして、海神の宮殿から豊玉姫が訪ねてきた。姫は懐妊しており、天の神の子を海で産むわけにはいかないので、陸に上がって来たのである。浜辺に産屋を造営し始めたが、鵜の羽を葺く前に産気付いてしまい、そのまま産屋に入った。その時「他国の者は子を産む時は本来の姿に戻る。私も本来の姿に戻って子を産むので、決して姿を見ないで欲しい」と夫に告げたのである。

しかし山幸彦は、妻の忠告を不思議に思い、産屋の中を覗いてしまう。すると、一匹の大きな和邇(鰐または鮫)がのたうち回っていたために、山幸彦は慌てて逃げてしまった。本当の姿を見られたことを恥じた豊玉姫は、生まれた御子をおいて海に帰ってしまったのである。

本殿のある洞窟には、乳房に似た“お乳岩”がある。これは海に帰る際に豊玉姫が御子のために片方の乳房をくっつけたものであり、ここから出る“お乳水”を使った飴で御子は育ったとされる。

また洞窟の前にある亀石は、豊玉姫が海神の宮殿から来た時に乗ってきた亀が石と化したものであるとされる。背中の部分に凹みがあり、そこに“運玉”と呼ばれる素焼きの粘土玉を投げ入れて願を掛ける光景は風物となっている。

<用語解説>
◆日向三代
天孫降臨を果たした彦火瓊瓊杵尊、その御子の彦火火出見尊、さらに孫の彦波瀲武盧茲草葺不合尊の3代を指す。茲草葺不合尊の御子が後の神武天皇となる。

アクセス:宮崎県日南市宮浦