下紐の石

【したひものいし】

国道4号線の宮城県と福島県の県境に位置する場所に、下紐の石はある。とりたてて何もない場所に柵に囲まれて大きな石があるので、すぐにそれと判る。かつてこのあたりに坂上田村麻呂が関所を置き、下紐の関と呼ばれていたとされる。また平安時代には歌枕として和歌に詠まれていた。江戸時代には石大仏とも呼ばれていた時期があるが、相当古い時代から下紐の石として存在していたと言える。

この名の由来であるが、用明天皇の妃である玉世姫がこの石の上でお産の紐を解いたことから名付けられたとされている。ただ、玉世姫は豊後(大分県)にあった真野長者(炭焼き小五郎)の娘であり、なぜこの地にその姫の伝承が残されているのかは謎である。

<用語解説>
◆用明天皇と玉世姫の伝説
室町時代に成立した、幸若舞の「烏帽子折」において用明天皇と玉世姫にまつわる伝承の詳細が描かれている。それによると、玉世姫の美貌の噂を聞いた用明天皇は、密かに豊後に赴いて真野長者の召使いに身をやつす。3年の歳月の後に天皇はその正体を明かして、姫を娶る。そして二人して都に戻り、男児をもうける。それが後の聖徳太子となる、という伝説である。(地元では、玉世姫は般若姫と呼ばれ、先に都へ戻った用明天皇の後から船で都に赴くが、途中周防国で病没したとされる)

アクセス:宮城県白石市越河