姉歯の松

【あねはのまつ】

姉歯の松は、歌枕となった場所であり、現在では何本かの松の木が植わっており、そこに明治期に設けられた碑が立っている。

歌枕としては、『伊勢物語』に「栗原や 姉歯の松の 人ならば 都のつとに いさといわましを」という歌をはじめとして、たびたび取り入れられている。また松尾芭蕉が『奥の細道』の旅の途中で、行こうとして行き着けなかったことが記されている。それほどまでに有名な場所である。

姉歯の松の由来であるが、いくつか存在する。在原業平が、陸奥国いた小野小町を訪ねた時に、その妹(または姉)の“姉歯”の消息を尋ねると既に亡くなっていた。そこでその墓に松を植えたのを始まりとする伝承。人身御供となるべく陸奥国に赴いた松浦小夜(佐用)姫の後を追って、この地まできた姉が亡くなったので、小夜姫が墓を築いて松を植えたとする伝承(“姉墓”が訛って“姉歯”となったとする)。これらの著名な人名が挙がっている中で、歌枕となった理由として最も流布しているのは以下の伝承である。

用明天皇の頃、朝廷に仕える女官(采女)を各国から1名ずつ選び出すことになった。陸奥国から選ばれたのは、高田(現・陸前高田)に住む長者の娘である朝日姫であった。姫は海路都へ向かうが、途中嵐で船が座礁したため、陸路をとった。ところがこの地で病没してしまう。それを聞いた朝日姫の妹である夕日姫は、自ら志願して采女として都に上ることとなる。そして姉が亡くなった地まで来ると、姉の墓の上に松の木を植えて目印にし、都へ行ったという。

いずれの伝承も姉妹の墓に目印として松を植えたことから始まるものであり、そのはかなく憐れな美しい姉妹の運命に思いを馳せながら歌を詠んだのであろう。

<用語解説>
◆歌枕
和歌の題材として取り上げられる、日本各地の名所旧跡を指す。取り上げられ方は、実際の風景に即したものではなく、故事来歴や名称から導かれるイメージに近いものとなっている。

◆『伊勢物語』
平安時代初期に書かれた歌物語。在原業平がモデルとされる男性が主に登場し、男女間の恋愛を中心に様々な人間関係を描いている。
姉歯の松が登場する話は、陸奥国へ行った都の男が土地の女と懇ろになるが、結局別れるという展開。歌の内容は「姉歯の松が人であったならば(貴女が姉歯の松にちなむような美人であったならば)、都に一緒に連れて行ったのだがな」とする。“姉歯の松=美しき存在”という概念が通底にある歌である。

◆在原業平
825-880。平安時代初期の貴族。美男で恋多き人物とされる。特に小野小町と絡めた逸話は多い。取り上げた伝承も、出羽出身の小町が都から去った後を業平が追い掛けた後日談として語られる。ちなみに小野小町の墓とされるものが宮城県内にもある。

◆松浦小夜(佐用)姫
肥前松浦の豪族の姫とされ、日本三大悲恋の1つとされる伝承の主人公。しかし東北では、暴れる大蛇を鎮めるための人身御供として自ら進んで名乗り出て都からはるばる赴いたという、いくつかの伝承の主人公となる(最終的には姫の唱える経文によって大蛇は成仏して昇天し、小夜姫は犠牲にならずに済む)。

アクセス:宮城県栗原市金成梨崎