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鵜森神社
(うもりじんじゃ)
三重県四日市市鵜の森
 祭神は天照大神・素戔嗚尊・菅原道真であるが、実質はこの地にあった浜田城主の田原氏4代とその祖先の藤原秀郷(俵藤太)である。
 田原氏は元は上野国赤堀庄の出であり、景信の代に伊勢に移り、その末子の田原忠秀が文明2年(1470年)に築城したのが浜田城である。忠秀は東海道の整備をおこない、また定期市を開いき、それなりの治世を施したとされる(この定期市が“四日市”の名の由来ともいわれる)。その後も2代目藤綱・3代目元綱と、田原氏はこの地に居を構える。しかし天正3年(1575年)、織田信長の武将・滝川一益によって浜田城は落城し、田原氏は領主の座から転落する。落城から逃れた4代目の重綱は織田信雄に仕えたが、いわゆる小牧長久手の戦いの緒戦で討死し、田原氏は滅亡する。さらに滝川氏の持ち城となっていた浜田城も、同じ一連の戦いの中で攻略され廃城となってしまう。
 やがて万治元年(1658年)頃までに、旧田原氏家臣によって城跡に鵜森大明神が建てられ、田原氏の4代が祀られたという。これが現在の鵜森神社の始まりであるとされる。
 鵜森神社には国の重要文化財指定の社宝がある。「十六間四方白星兜鉢」と呼ばれる兜である。平安時代の作とされ、武具の変遷史においても非常に重要な作品である。社伝によると、この兜は藤原秀郷所有のものであり、田原氏に代々伝わったものであるとされる。しかもこの兜は、秀郷が三上山の百足退治をした際に龍王から褒美として与えられたものであるとされる。そのためこれに祈願すると雨雲を呼ぶということで、これを使って雨乞いの儀式が大正頃まで続けられたという。
<用語解説>
滝川一益
1525-1586。織田信長の有力武将であるが、その出自は明確ではない。信長に出仕後から頭角を現し、伊勢方面の攻略にあたる。

織田信雄
1558-1630。織田信長の次男。伊勢の守護であった北畠氏の名跡を継ぐ。

藤原秀郷(俵藤太)
生没年不詳。下野国の豪族。史実としては天慶3年(940年)に平将門の乱を鎮め、下野守・武蔵守、さらに鎮守府将軍となる。伝承としては、瀬田の唐橋で琵琶湖の龍王に見込まれ、三上山の大蜈蚣を退治するという伝説の主人公として有名である。

蜈蚣退治の宝物
「俵」の姓の由来となった、使っても米が減らない俵をはじめ、様々な宝物を貰っている。現存する宝物として、唐沢山神社(栃木県)の避来矢の鎧、三井寺(滋賀県)の弁慶の引き摺り鐘、伊勢神宮に奉納された蜈蚣切丸の太刀がある。
<関連伝承地>
雲住寺 百足供養堂(滋賀県)

鵜森神社

十六間四方白星兜鉢

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