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阿漕塚
(あこぎがづか)
三重県津市柳山津興
 現在でも「しつこく金品をむさぼる」という意味で使われる“阿漕”という言葉であるが、その言葉の由来となったのが阿漕塚のある阿漕ヶ浦である。
 現在の津市あたりには、かつて“安濃津(あのつ)”と呼ばれる良港があり、交易の一大拠点となっていた。また阿漕ヶ浦(「安濃」の“濃”を“こき”と読ませたのが語源という説がある)は、伊勢神宮に魚を奉納するための漁場であり、禁漁区とされていた。しかし
伊勢の海の阿漕か浦に引網の度かさならはあらはれにけり
いかにせん阿漕ケ浦のうらみても度重られはかわる契りを
といった古歌が平安時代頃には成立しており、度重なる密漁があったことをうかがわせる。さらに室町時代にも、世阿弥作とされる謡曲『阿漕』が作られ、禁漁区で漁を度々行う男があり、遂には捕らえられて生きたまま簀巻きにされ海に沈められたとする逸話を元にした物語が展開される。
 現在、阿漕ヶ浦の逸話として最も流布しているのは、“阿漕平治”の物語である。これは寛政10年(1798年)に成立した浄瑠璃『勢州阿漕浦』でほぼスタイルが完成したストーリーであり、禁漁の罪を犯して処罰された男の目的が孝心によるものであったとする世話物となっている。
 阿漕平治は、病弱の老母と暮らしていたが、病にはヤガラという魚がよく効くという話を聞き、禁漁区となっていた場所に舟をこぎ出して漁をしてしまう。母の病状が良くなっているように見えてきたため、平治はその後も何度も密漁を行ってヤガラを採っていた。しかしある晩、役人の舟が近づいたことに気付いた平治は慌てて漁場を離れたが、その時にうっかりと自分の名前が書かれた笠を落としてしまう。そのために密漁の罪が露見した平治は、簀巻きにされて海に沈められてしまう。そして息子を失った老母も間もなく亡くなってしまう。
 その後、禁漁区の海から毎夜のように人の泣き声や網を打つ音が聞こえるようになった。浜の者は、平治の亡魂がヤガラを採ろうとして泣いているのだと噂した。さらにはその声や物音を聞いた者は病気になるようになった。
 その頃、平治が生前信心していた上宮寺の住職の枕元に平治の亡霊が現れ、供養を頼んだ。そこで住職は、浜の石を拾って経文を書くと、海に納めていった。するといつの間にか泣き声や網を打つ音は止み、浜の者の病気も治っていった。そこで浜の者は平治の供養のために塚を建て、今でもお盆になると上宮寺の僧が供養を執りおこない、盆踊りが催されるという。
<用語解説>
安濃津
室町期に、博多・堺と並んで「三津」とされた、交易の拠点。同時に、伊勢神宮に魚を奉納する漁場として殺生禁断の地ともされた(ただし、付近では漁をして生計を立てていた人々も暮らしていたとされ、漁業権はかなり複雑に入り組んでいたと推測される)。明応7年(1498年)に起こった地震と津波によって安濃津は壊滅し、以後明治になるまで一帯は荒れるにまかせていた。現在の津市の中心街は、安濃津壊滅後に城下町として再興されたものである。

ヤガラ
ヨウジウオの仲間で、体長は1m以上になる。高級魚として扱われ、料亭や割烹で椀ものや刺身で供されることが多い。美味である。

上宮寺
津市乙部にある真宗高田派の寺院。創建は古く、推古天皇の時代にまで遡ることができる。津市最古の寺院とされる。
<関連伝承地>

阿漕塚

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