宇良神社

【うらじんじゃ】

浦嶋子の出自として最も説得力のあるのがこの宇良神社である。最近では“浦嶋神社”の方が通りがいいが、正式名称はこの名前である。

この神社の祭神は筒川大明神、すなわち浦嶋子である。この大明神の名は淳和天皇によって天長2年(825年)に贈られたものである(この時勅使として遣わされたのが小野篁である)。神社の縁起によると、浦嶋子が絶世の美女に誘われて“常世の国”へ行ったのが雄略天皇22年(478年)、帰ってきたのが825年とされる。

浦嶋子という名が最初に登場するのは『日本書紀』の雄略天皇22年の記述。「瑞江(水江)の浦嶋子という人が釣りをして亀を得る。その亀は美女に変身し、浦嶋子はその美女を妻として海に入り、蓬莱へ行って仙人を見た。これは別巻に書いてある」。この“別巻”は『丹後国風土記』を指し、ここに詳細が書かれている。

宇良神社から少し東に面白いものが残されている。浦嶋子が常世の国から帰還してきた穴と呼ばれる“龍穴”である。表示板がなければ通り過ぎてし まうほどの、本当に小さな横穴である。舟で常世の国へ行ったのだから、海から帰ってきたとばかり思い込んでいたのだが、この帰還場所は意外な盲点であった。

<用語解説>
◆『丹後国風土記』における浦島伝承と矛盾点
筒川の子、水江浦嶋子は美男子であったが、ある時三日三晩釣りをして五色の亀だけが捕れた。その亀は絶世の美女に変化し、天上仙家の者と名乗り、求愛する。そして嶋子に眠るように言うと、あっという間に海中の島へ連れて行った。娘は両親と共にそこで嶋子を歓待し、俗世と仙界について語る。三年の月日が流れ、嶋子はやはり俗世に戻りたいと告げると、「戻る気があれば、決して開けるな」と言って玉匣を渡した。俗世に戻ると辺りは一変しており、嶋子は海に出て還らぬ者とされていた。悲嘆する嶋子が玉匣を開けると、瞬く間に消えてしまった。
しかしながらこの『風土記』は713年に編纂の命が下っており、825年に帰還した説に従うと、時間が矛盾することになる。

アクセス:京都府与謝郡伊根町本庄浜