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ゆうげん地蔵
(ゆうげんじぞう)
高知県高岡郡佐川町斗賀野
 佐川の地は土佐藩の筆頭家老・深尾氏の代々の所領であった。ある時、深尾の殿様は、佐川の村に住む児島又玄という村医者の噂を聞く。腕の立つ医者であるが果たしてどんなものかと、殿様は試してやろうと又玄を呼びつけた。
 早速やって来た又玄を別室に待たせて、手首に付けた糸だけを延ばして脈を測らせたのである。当時は身分の高い者の脈を取る時は、手首に付けた糸で測るのが普通だったので、又玄は何の疑念も抱かずに脈を診た。しかしいたずら好きの殿様は、その糸を自分ではなく飼い猫の前足に結びつけていたのである。
 これを知った又玄は激怒。さらに殿様が「どのような薬が要るか」と尋ねたから、又玄は「鰹節がよろしかろう」と言い捨てて屋敷を辞したのである。
 殿様にからかわれた又玄は、家に戻っても怒りが鎮まらない。特に猫の脈を看取らされたことが堪え難い屈辱であった。殿様といえどもこれだけは許せなかった。又玄は意を決すると、自宅に火を付けた。そして自らその中に残り、そのまま焼け死んでしまったのである。
 それからというもの、深尾の殿様の許に又玄の亡霊が現れるようになった。そして怪事が起こるようになった。さすがの殿様も自分の度の過ぎたいたずらを後悔した。そして村人も又玄の祟りを鎮めるためにお地蔵様を造って、墓の前に置いた。それが現在に残るゆうげん地蔵である。
 現在でも幹線道路から少し外れた、峠道の途中にゆうげん地蔵はある。近くまで行くと案内もあり、大きなモッコクの木の下に今でも丁寧に祀られている。そして2月になると、地蔵周辺の空き地がいっぱいになるほど人が集まる。今では合格祈願のために大祭がおこなわれ、数多くの受験生がこの地蔵に祈願するという。
<用語解説>
深尾氏
初代土佐藩主となる山内一豊が、長浜3万石の大名に取り立てられた際に、呼び寄せた深尾重良を祖とする。それ以前は美濃国の小領主とされている。山内氏が土佐藩主となると、深尾氏は佐川の地に1万石を領し、代々筆頭家老職に就くことになる。
なお児島又玄は、2000年初頭で三百回忌の法要がおこなわれたとされるため、元禄末期に亡くなったと考えられる。ここから当時の領主は4代目の重方(1672〜1731)と推測できる。ちなみに重方は、宝永3年(1706年)、藩主が重篤との報を誤って伝え聞き、その死の時に平時の対応をしたことを咎められて免職、蟄居。強制的に嫡男に家督を譲ることになる。
<関連伝承地>

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