土佐神社

【とさじんじゃ】

土佐国一之宮である。祭神は古来は「土佐大神=高鴨神」とされていたが、今では一言主神と味鋤高彦根尊となっている。

「高鴨神」は賀茂氏の祖神であり、おそらく土佐国造として当地に赴いた同族によって祀られたのであろうとされる。しかし、同時にこの「高鴨神」が土佐に祀られる逸話が残されている。

『続日本紀』によると、大和の葛城山にあった一言主神は雄略天皇と狩りの獲物を巡って争いを起こし、命によって土佐に流されてしまったという。この流された神はしばらく別の場所に鎮座していたが、新しい宮へ移ろうと、須崎の鳴無神社から石を投げて、現在の土佐神社に宮を定めたということになっている。その投げた石は、今も「礫石」という名で境内にある。

しかし『古事記』によると、雄略天皇と一言主神の関係は逆転し、葛城山中でいきなり神と出くわした天皇は、畏れ多いこととして着ていた衣服を差し出して崇めたとされる。この矛盾する話のために、賀茂氏の別の祖神である味鋤高彦根尊を「高鴨神」とする説も支持されることになった。この結果、現在の土佐神社の祭神は二柱となっているわけである。

<用語解説>
◆賀茂氏
大和の葛城地方を治めていた一族。始祖は大物主神(三輪大神)の子とされる大田田根子。子孫には、陰陽頭となった賀茂忠行がおり、その後も陰陽道の宗家として存続する。

◆雄略天皇
419-479。第21代天皇。先代の安康天皇暗殺直後に武力で対抗馬を排除して皇位に就く(この時に対抗馬を匿った葛城一族を滅亡に追い込んでいる)。その後も軍事力を背景に大和朝廷の版図を拡大したとされる。

◆一言主神
葛城山に住む神とされる。上にある『古事記』の逸話で初めて名が出てくる。『日本書紀』では雄略天皇と共に狩りを楽しみ、『続日本紀』で雄略天皇によって土佐に流される。その後も役行者に酷使されるなど、その地位は時代を経るに従い低下している。葛城一言主神社が総本社。

◆味鋤高彦根尊
大国主命と多紀理毘売命(宗像三女神の一人)の息子。『古事記』では、国譲りの使者として来ながら高天原を裏切って死んだ天若日子と容貌がそっくりであったために間違われ、それを怒って喪屋を壊して蹴り飛ばした。賀茂氏の祖神を祀る高鴨神社の祭神。

アクセス:高知県高知市一宮しなね