御厨人窟

【みくろど】

室戸岬の突端のすぐ近くに2つの海蝕洞穴がある。向かって右側が明神窟、そして左側が御厨人窟と呼ばれる。この御厨人窟には、弘法大師の伝説が残されている。しかも数ある伝説の中でも一際特異な存在である。

郷里から京に上り大学で学んだ佐伯真魚(後の空海)は、学問に飽きたらず山林を巡り仏道の修行をおこなったとされる。その集大成とも言える『三教指帰』の中で、自身がこの洞窟を修行の場として選び、ここで起居していたことを記している。さらにこの場所での修行の際に、口に明星が飛び込んできたというくだりがある。即ち、空海悟りの地と言うべき場所であると、自らの著作で述べているのである。

そして“空海”という名そのものも、この洞窟内から外を眺め、空と海だけが広がる光景から付けたのだとも言われている。まさに不世出の僧・空海誕生の地であると言ってもおかしくない場所である。

<用語解説>
◆空海
774-835。讃岐国多度郡の生まれ。幼名は佐伯真魚(さえき まお)。18歳で京都の大学に入り、その後、山野を巡って修行し、仏道を求めた。24歳の時に『三教指帰』を著して、出家を宣言する。ただし、延暦23年(804年)に遣唐使の留学僧となるまでの足取りは不明な点が多々あり、実際に出家した時期も諸説ある。

◆『三教指帰』(さんごうしいき)
序文に延暦16年(797年)12月1日の日付があるため、空海24歳の著作とされる。儒教・道教に対する仏教の優位を、寓意的な物語として著した思想書。御厨人窟での体験については、自伝的な序文に記されている。

アクセス:高知県室戸市室戸岬町