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宝永津波溺死之塚
(ほうえいつなみできしのつか)
高知県須崎市池ノ内
 須崎市にある災害記念碑の宝永津波溺死之塚は、かつての往還道に面した場所にある。安政3年(1856年)に建立され、現在では石が風化してしまって読み取ることが出来ないが、須崎における地震と津波の教訓がびっしりと刻まれている。
 宝永4年(1707年)10月4日に起こった宝永地震で、須崎では400人余りの人が津波で亡くなった。この石碑のそばにある糺池には、津波で流された遺体が筏のように並んで浮かんでいて、それを埋葬したのだが、150回忌にあたって改葬することとなった。
 ところがそれを進めているさなかの安政元年(1854年)11月5日に大地震と大津波が起こった。ちょうど宝永の時の記録を読んでいたので、多くの人が助かった。しかし宝永の時に山で落石があったので船で沖に逃げる方がいいという噂を信じた30名余りが、津波の吞まれて死んでしまった。地震が起きてから沖に船を出すことは絶対にやってはならない。
 宝永の時は、地震の後に津波が来ることがわからず、津波を見てから逃げたので多くの者が亡くなった。地震の後には必ず津波はやってくる。ただ少しだけ間があるので、落石を確かめて山へ逃げるようにすればよい。
 しかしそれほど高いところにまで逃げる必要はない。先の地震でも町によっては屋敷が水に浸からなかったところもあるし、宝永の時もさほど高地でなくとも助かった者はいる。とてつもない津波が来ることはない。150年で2回あったことであり、参考にしてもらいたい。後世、大きな地震が起きた時の心得としてもらいたいので、改葬の際の碑におおよそのことを刻んでおくことにする。
 ……読めなくなった碑の脇には、この碑の内容を解説した石板が置かれており、その最後には地元出身の科学者・寺田寅彦の言葉が刻まれている。
「天災は忘れたころにやってくる」 
<用語解説>
宝永地震
宝永4年(1707年)に発生した大地震。マグニチュードは推定8.5とされる。東海から紀伊半島、南四国での被害がもっと激しく、多くの建物が倒壊し、さらに最大で20mを超える津波が襲ったとされる。そしてこの地震から49日後に富士山が噴火する(これが最後の大噴火となっている)。

安政地震
安政期には巨大地震が頻発しているが、元年11月5日のものは安政南海地震と言われ、その前日に起こった安政東海地震とともに最大規模のものであった。2つの地震はともにマグニチュード8.4と推定されており、20m前後の津波が起きたとされる。
<関連伝承地>

宝永津波溺死之塚

宝永津波溺死之塚

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