ちきり神社

【ちきりじんじゃ】

“ちきり”は漢字で書くと「滕」。織機で縦糸を巻くのに使われ、形は中央部分がくびれた棒状の道具である。その名の通り、織物に関係の深い神社である。祭神は稚日女命であり、『日本書紀』では天照大神の妹で、大神の衣服を織る神であるとされている。だがこの神以外にも、この神社の来歴を紐解くと、神となった一人の娘の存在が浮かび上がってくる。

ちきり神社は現在仏生山の雌山の上にあるが、それは高松藩主の菩提寺・法然寺建立によって雄山から移転されたためである。だが、さらにその元をただせば、仏生山のそばにある平池(へいけ)の中州にあったされたとされる。この平池には人柱伝説が残されており、この人柱となった娘も神社に祀られているとされる。また“ちきり”という社名もこの人柱伝説から起こったものであるとも言われている。

平池は久安年間(1145~1151年)に造られたため池であるが、治承2年(1178年)に災害によって改修を余儀なくされている。改修の指揮を執ったのは阿波民部大輔・田口成良であり、平清盛の命であったと伝えられる。この事業は相当の難工事であり、何度やっても堤が決壊してしまう。やむなく成良は神仏に祈願したところ、「明日の早朝“ちきり”を持った者が池のそばを通りがかる。その者を人柱に立てるがよい」との託宣を受けた。

そこで役人が待ち構えていると、一人の娘が通りがかった。何も知らない娘は、役人の「何を持っておるか」という問い掛けに「ちきりです」と正直に答えたのである。役人は託宣通りということで、有無も言わさず娘を捕らえると、あらかじめ掘ってあった穴に投げ込んでそのまま生き埋めにしてしまったという。

平池はこうして改修を終え、決して堤が決壊しない池となった。そして娘を祀る社も建てられた。ところが堤の東端あたりに、なぜかいつの間にか隙間が出来てしまっており、そこから水が漏れ出るようになった。その水の流れをよく聞くと「いわざら、こざら」とつぶやく人の声に聞こえる。人々は、これは「言わざらまし、来ざらまし(言わなければよかったのに、来なければよかったのに)」という娘の言葉に違いないと噂しあったという。

昭和42年(1967年)になってから改修がおこなわれて、問題の隙間はなくなってしまったという。その後、人柱となった娘の冥福を祈るために、池のほとりに乙女の像が立てられている。

<用語解説>
◆稚日女命
『日本書紀』では、天照大神の妹とされ、機を織っている時に素戔嗚尊が投げ込んだ馬に驚いて、持っていた梭(織物の道具)で女陰を突いて亡くなってしまう(これが天照大神の岩戸隠れの原因となる)。また天照大神の娘であるとも、自身の幼名であるとも言われている。

◆田口成良
阿波国の豪族。平清盛に仕えて頭角を現す。大輪田泊の造営の中心的役割を果たす。その後四国一円を支配下に置き、屋島に行宮を築いて平家の拠点となす。屋島の合戦で平家が敗退する前後から一族が裏切り、成良も壇ノ浦の合戦の最中に阿波水軍ごと寝返る。しかし鎌倉に送られた後に刑死。滅亡直前の寝返りを不忠とされたとも、かつて東大寺大仏殿焼き討ちの際の先陣であったためとも言われる。

◆「いわざらこざら」伝説
上の伝説以外にも、<人柱を提案した女性がそのまま人柱とされた>や<通りがかった娘が機を織る仕事の期限を確かめるために「大の月か、小の月か」と役人にわざわざ尋ねたために人柱にされた>などのパターンがある。ただどの話も最後には「いわざら、こざら」という水音の話で締めくくられている。

アクセス:香川県高松市仏生山町