白鳥神社

【しろとりじんじゃ】

『日本書紀』によると、日本武尊は能褒野(三重県)に葬られたが、その姿を白鳥に変えて、大和の琴弾原から河内の古市へと飛んでいったとされる。これらの3つの地にはそれぞれ日本武尊の御陵が造られている。だがそこから先は、白鳥は天高く飛び去ったという記述しか残されていない。

東かがわ市にある白鳥神社は、その天高く飛び去った白鳥が最後に飛来した場所であると言われる。社伝によると、白鳥とは“鶴”であり、鶴は下り立って間もなく死んだため、この地に埋められたとされる。現在でもこの神社の境内には「鶴塚」があり、そこが埋葬地であるという。その後、日本武尊の御子である武殻王が派遣され、御陵を造り、さらに仲哀天皇(日本武尊の御子の一人)の代に神社となったと伝わる。

<用語解説>
◆白鳥伝説
日本武尊が死んでから白鳥となったという伝承は『古事記』『日本書紀』共に記述がある。能褒野・琴弾原・古市の各御陵も白鳥陵と呼ばれている。また堺市にある大鳥神社には、白鳥神社同様、白鳥が最後に下り立った地であるとされており、全国各地の大鳥(大鷲)神社の主祭神は日本武尊である。ちなみ白鳥はハクチョウではなく、大きな翼を持った白い鳥ということである。

◆武殻王
悪魚退治の功績により讃岐の地を賜い、この地に永住した讃留霊王(さるれお)と比定される。ただし讃留霊王は景行天皇の皇子、即ち日本武尊の弟君に当たる神櫛王との説もある。(神櫛王は、白鳥神社の社伝によると、武殻王と共に讃岐に派遣されたとされている)

アクセス:香川県東かがわ市松原