須須神社

【すずじんじゃ】

三崎権現とも呼ばれ、能登半島の先端部分にほど近い場所にある。10代崇神天皇の御代に創建と伝えられ、東北鬼門日本海の守護神として海上交通の要衝の役割を果たしている。須須神社の奥宮のある山伏山は海上からのランドマークとして最適であり、信仰と共に航行の目標とされてきた。また平安時代には、海上で異変があれば直ちに狼煙が上げられ、都まですぐさま伝達される仕組みになっていたとも伝えられる(現在でも、半島の先端には「狼煙町」という地名が残る)。

須須神社には「蝉折の笛」という名笛がある。鳥羽上皇の時代に宋の皇帝から贈られてきたと伝わる笛であるが、奉納したのは源義経とされる。

兄の頼朝から追われ、奥州藤原氏を頼って落ち延びる際、義経一行は須須の沖合で時化に遭遇する。義経が神社に祈るとたちまち嵐が止んだので、船を岸に着けて参拝。お礼として蝉折の笛を奉納したという。その時、弁慶も「左」と銘が彫られた守り刀を奉納している。いずれも神社の宝物館に保管されているが、義経一行の奥州落ちのルートを考察する上で、非常に重要な物証となっている。

アクセス:石川県珠洲市三崎町