上立神岩

【かみたてがみいわ】

淡路島の土生港から連絡船に乗って約15分ほどで沼島(ぬしま)に到着する。そこからさらに30分ほど歩いて港と反対側の海岸線に辿り着く。切り立った絶壁のそばに屹立している、高さ30mあまりの巨岩が上立神岩である。

記紀によると、伊弉諾尊と伊弉冉尊の両神は、天の沼矛で青海原を掻き回して引き上げたところ、矛の先からしたたり落ちた滴が固まって島が出来たという。それが“おのころ(自凝)島”である。両神はその地に降り立って夫婦の契りを結んで国産みをおこなったとされる。そして最初に出来た島が淡路島であり、そこから順次日本の島々が造られていくことになる。

伝承によると、淡路島にくっつくようにして浮かぶ沼島こそが、両神が最初に降り立った“おのころ島”であるとされている。そして上立神岩は、夫婦の契りを結んだ両神が国産みをする際に使った“天の御柱”であるとされる。両神はこの柱の周りをそれぞれ左右から回り、巡り会ったところで結び合うこととして国産みをおこなったのである。

また『和漢三才図会』では竜宮城の表門にあたるとも言われている。いずれにせよ、その奇観から神秘的なものを感じるところの強い巨岩である。

<用語解説>
◆伊弉諾尊と伊弉冉尊の国産み
『古事記』によると、国産みは、伊弉冉尊の“成り合わざる処(女陰)”を伊弉諾尊の“成り余れる処(男根)”で刺して塞ぐ(性交する)ことによっておこなわれるとされる。また『日本書紀』には、最初両神が交わろうとしたがやり方が分からず、鶺鴒が頭と尾を動かす様子を見て交わり方を知ったとも書かれている。性交によって国産み、さらに神産みをおこなったことが分かる。
また初めて天の御柱を回って出会った時に、先に女性の伊弉冉尊が声を掛けてしまったために、蛭児と淡洲が生まれてしまったともされている。

◆おのころ島
おのころ島であると言われる地は沼島以外にもあり、淡路島の北端にある絵島、自凝島神社のある淡路島、淡路島の西にある家島が比定されるという。

◆『和漢三才図会』
大阪の医者であった寺島良安が編集、正徳2年(1712年)に成立する。全105巻の類書(百科事典)であり、図入りで森羅万象の事項について解説している。

アクセス:兵庫県南あわじ市沼島