光善寺 血脈桜

【こうぜんじ けちみゃくさくら】

天文2年(1543年)創建の光善寺は桜の名所としても有名であるが、本堂前にある桜の巨木は“血脈桜”と呼ばれ、北海道指定記念樹木として屈指の名木と言われている。樹齢約300年とされるこの古木には、名前の由来に関する不思議な伝説が残されている。

松前の鍛冶屋・柳本傳八は、娘を伴って上方見物に出掛けた。そして桜が満開の吉野をいたく気に入った親子は、しばらくの間逗留することに。娘の静枝は吉野のある尼寺を訪ね、尼僧と懇意となった。やがて松前に戻る日が来て、尼僧は吉野の思い出にと一本の桜の苗木を手渡しくれた。そして親子は郷里に戻ると、苗木を菩提寺の光善寺に寄進して植えたのであった。

年月が経ち、桜は立派な大木となった。ところが十八世・隠誉上人の代となって、寺の改修をおこなうためにこの桜の木が邪魔となり、伐採することと決めた。その伐採の前夜、寺を訪ねてきた若い女性があり、「明日にも死ぬ身なので、血脈を授けて欲しい」と上人に頼み込んだ。夜も遅いので明日にと言う上人に対して、女は今日でなければならないとせかし、渋々上人は血脈の証を授けたのであった。

翌朝、庭に出た上人は、今日切り倒す桜の木の枝に何かがぶら下がっているのを見つけた。それは昨夜自らが授けた血脈の証であった。ここで上人は昨夜の女が桜の助命に来たのだと悟り、伐採を取りやめると同時に供養を執りおこなったのである。この伝説により、この桜の古木は“血脈桜”と呼ばれるようになったという。上人の許を訪れた若い女性であるが、桜の精であるとも、苗木をもらってきた静枝の霊であると言われている。

また光善寺には「義経山」と刻まれた石碑が置かれている。これはかつて松前にあった義経山欣求院の山号であると言われており、源義経自身が矢尻で刻んだとの伝承が残されている。源義経北行伝説の有力な証拠の1つとされている。

<用語解説>
◆源義経北行伝説
源義経主従は平泉で死んだのではなく、身代わりを立てて逃亡して蝦夷地(北海道)を目指して行ったという伝説。平泉以北に複数の義経ゆかりの寺社がある。
さらに義経一行は蝦夷地から中国大陸へ渡り、その後チンギス・ハンとなったという伝説もある。

アクセス:北海道松前郡松前町字松城