吾妻子の滝

【あづまこのたき】

西条町一帯には、源頼政の愛妾・菖蒲の前にまつわる伝承地が点在する。

平家に叛旗を翻した源頼政は、宇治川の戦いで自刃する。残された菖蒲の前は、3歳になる頼政の遺児・種若丸、家来の猪早太と共に西国に逃れた。そして安芸国賀茂郡にあった滝まで辿り着いたのである。しかし長旅の疲れのために種若丸はこの地で病を得て、そのまま病死。平家に見つかることを恐れた菖蒲の前は滝のそばに我が子の遺体を埋めたのである。そして我が子を偲び
吾妻子や 千尋の滝と 荒れ果てた 広き野原の 末や知るらん
と詠った。そのため、この滝は“吾妻子の滝”と呼ばれるようになったという。

吾妻子の滝は、現在、公園化されている。滝の落差は約15m、落ち口の幅が35mという非常に幅広の滝であり、なかなかの景色である。今でも滝の上には観音堂があり、種若丸の墓と言われる宝篋印塔が安置されている。

<用語解説>
◆源頼政
1104-1180。清和源氏の出であるが、平治の乱で平清盛に味方する。平氏政権下で従三位にまで昇進する。鵺退治の伝説で有名であり、この退治の時に供をして鵺にとどめを刺したのが猪早太、そしてこの功績によって菖蒲の前を愛妾としたとされる。最期は宇治の平等院で自刃。

アクセス:広島県東広島市西条町御薗宇