小雀観音

【こすずめかんのん】

菱町の一画に少し大きめのお堂がある。前には“馬頭観音”と彫られた石碑がある。これが小雀観音である。

天文13年(1554年)、菱町一帯を領していた細川内膳を攻め滅ぼしたのは、桐生大炊介助綱である。力関係で言えば、桐生氏の方が細川氏よりも勢力があり、特に助綱の時代が桐生氏の全盛期であり、戦国時代のならいとしては当然の成り行きであると言えるだろう。

しかし伝説によると、この時の細川氏滅亡のきっかけとなったのは意外な理由であった。当時、細川内膳は京都の八条殿より賜った“小雀”という愛馬を所有していた。それに目を付けた桐生助綱がこの馬を譲るように強要したのである。だが内膳がこれを拒否したため、桐生氏はこれを滅ぼしたとされるのである。

細川氏を討ち果たした桐生氏側は、これで名馬が手に入ると考えたのであるが、思わぬ結末が待ち受けていた。桐生氏に攻められた細川内膳が自害したという知らせが広まると、愛馬の小雀は自らの舌を噛み切って死を選んだのである。憐れに思った村人がその遺骸を埋めて祀ったのが、今の小雀観音であるとされている。

<用語解説>
◆桐生助綱
1512-1570。父は重綱(ただし重綱を祖父とし、父を真綱とする系図もある)。桐生氏中で最も傑出した当主とされ、助綱の代に最盛期を迎える。

アクセス:群馬県桐生市菱町