護国之寺

【ごこくしじ】

護国之寺は天平18年(746年)に聖武天皇の勅命によって建立された古刹である。県や市の重要文化財を多く所有しているが、中でも“金銅獅子唐草文鉢”は奈良時代の作とされる、国宝指定の名器である。この鉢にまつわる伝承は、この古刹建立にも大いに関係する。

聖武天皇が奈良の都に総国分寺として東大寺を建立を欲し、大仏造立の詔を出したのが天平15年(743年)のことである。そこで全国に使者を遣わして、然るべき仏師を求めることとなった。美濃国へ派遣された使者は、ある夜、夢の中で「明日東へ行って、一番最初に出会った者が、おまえが探し求める仏師である」というお告げを聞く。翌朝、使者が最初に見かけたのは一人の童子であった。日野金丸(ひのきんまろ)と名乗った童子は、使者の求めに応じて土をこねて見事な仏像を造って見せた。そこで使者は金丸を伴って奈良へ戻り、大仏建立の任に当たらせたのであった。

天平勝宝4年(752年)ついに大仏は完成し、落慶法要が執りおこなわれた。その時、紫雲が現れ、美しい音楽が流れてくると、空から一つの鉢が舞い降りてきた。そして「これは釈尊が使われていた鉢である。大仏造立を称えてこれを授けよう」という声がした。そこで聖武天皇はこの鉢を、大仏建立に功績のあった金丸に与えたのであった。

その後、故郷に戻った金丸は雄総に寺を建てて、この鉢を納めた。そしてその死後に千手観音菩薩像に変化して、この寺の本尊となったという。

<用語解説> 
◆聖武天皇
701-756。第45代天皇。光明皇后と共に仏教に篤く帰依し、全国に国分寺・国分尼寺、平城京に東大寺を建築して、仏教による国家安寧を図った。

◆東大寺大仏
盧舎那仏(華厳宗における“宇宙の中心に位置する仏”。真言宗で言うところの大日如来である)。天平17年(745年)より造られ、天平勝宝4年(752年)に開眼供養(仏に魂を入れる儀式)が執りおこなわれた。高さ約15m、重さ250t。後に2度の戦火によって焼失するが、その都度再建される。現在の大仏は、元禄4年(1692年)に完成したものである。

アクセス:岐阜県岐阜市長良雄総