八百比丘尼入定洞

【やおびくににゅうじょうどう】

全国津々浦々に点在する伝説の一つに【八百比丘尼】にまつわる話がある。人魚の肉を食べてしまったために不老不死となり、それ故に無常を感じて剃髪し、最後は800歳まで生きながらえたという伝説である(本当は“不老不死”なのだから死ぬのはおかしいのだが)。その伝説の最も有力な出処がこの小浜にある。彼女はこの小浜にあった高橋長者の娘であり、16歳の時、長者がとある知り合いの宴会でもらった人魚の肉(一説には九穴の鮑)をこっそり食べてしまったのが伝説の始まりである。

小浜藩酒井家の菩提寺である空印寺の境内に【八百比丘尼入定洞】という洞窟がある。八百比丘尼の生没年で最も有力な説は、白雉5年(654)に生まれ、宝徳3年(1451)に京都を訪れ、その後に小浜へ戻って800歳で入定(要するに即身成仏)となる。その入定した場所が、空印寺のそばのこの洞窟ということになるらしい。

この洞窟自体にも不思議な話が残されている。江戸時代に空印寺の住職が洞窟の奥へと入っていったところ、出口があって、丹波の山中に出てしまったというのである。現在は落盤のために入り口からすぐのところで塞がっているらしい。

<用語解説>
◆空印寺
戦国時代には城館であったが、小浜藩初代京極氏が菩提寺として泰雲寺を建立する。京極氏移封後に入ってきた酒井氏も菩提寺として、建康寺と改称する。さらに次代藩主により、建康山空印寺という名となり、今に至る。寺そのものと八百比丘尼との直接的な関係はないと言える。

◆高橋長者
東勢村(現・小浜市東勢)にいたとされる長者、権太夫のこと。長者が人魚の肉をもらったいきさつには、上の宴会の逸話と共に、小浜では海中にある蓬莱国に招かれ、帰宅の際に箱に入れて持ち帰るよう勧められたとされる。

◆八百比丘尼の生没年
宝徳元年(1449)5月にに京都に八百比丘尼が若狭からやって来て見物料を取って見世物をやったという記録が、中原安富『安富記』や瑞渓周鳳『臥雲日件録』にある。生年については、この年から800年前ということで定まった感がある。
また江戸時代にも八百比丘尼が見世物に掛かったが、この時も約800年前の奈良時代の生まれとされたという。

アクセス:福井県小浜市男山