平泉寺白山神社

【へいせんじはくさんじんじゃ】

泰澄によって養老元年(717年)に開かれた。白山神社の名の通り、この地は白山信仰の拠点の1つであり、越前から白山山頂への登山口となっている。そして時代を経て室町期には、白山神社の別当寺であった平泉寺は。四十八社、三十六堂、六千坊、そして僧兵八千人という巨大な宗教都市と呼べるだけの勢力を持つに至ったのである。しかし越前一向一揆と戦い、天正2年(1574年)に焼き討ちに遭って、壊滅状態となってしまう。

その後豊臣秀吉の庇護、さらに福井藩と勝山藩の保護によって復興するが、最盛期の状況にまでは回復することはなかった。寛政8年(1688年)に幕府の裁定によって、白山山頂が平泉寺領と認定されている。

現在も、最盛期だった時代の平泉寺の発掘調査がおこなわれており、境内の遺構が多数発見されている。また名勝や国史跡の指定も受けている。

<用語解説>
◆泰澄
682-767。越前の生まれ。大宝2年(702年)に文武天皇より国家鎮護の法師に任ぜられる。養老元年(717年)に白山に登頂し白山修験道を開く。その後全国を回り、各地の山岳信仰と関わりを持ったとの伝承が残る。

◆白山信仰
白山を御神体とする信仰。泰澄が白山登頂をした際、池より九頭竜王(十一面観音の垂迹)が現れ、自らを伊弉冉尊の化身、妙理大菩薩、白山明神と名乗ったことから始まる。越前・加賀・美濃の3箇所に登山口があり、室町時代に隆盛を極めた。戦国時代になると、加賀・越前の白山信仰の拠点は一向一揆によって焼き討ちされ、かつての勢いを失った。

アクセス:福井県勝山市平泉寺町