鴫山姫塚

【しぎやまひめづか】

山間部の小さな集落にある、共同墓地の中にある。姫塚とされるが、具体的な名前は分からないし、いつの時代の話であるのかも定かではない。ただ悲劇的な生涯をこの地で終え、安住の地を見つけた一人の女性の物語だけが残されている。

昔のこと。京都のある公卿の姫が不治の病に罹ってしまった。もはや治りようもないため、姫はうつぼ舟に乗せられて海に流されたのである。

やがて潮の流れによって、舟は伊予国に流れ着く。最初にたどり着いたのは八幡浜の近くの海岸であった。ところが浜の者はすぐに追い払おうとした。舟から出てきた姫の姿から、すぐに不治の病に罹っているのが判ったからである。故郷から遠く離れた地でも、姫は嫌われ蔑まれる存在であったのである。

当てもなく山の方へ歩を進めた姫であるが、やがて鴫山という集落へたどり着く。その集落の人々は、業病の姫を受け入れた。姫はその集落で“村養い”を受けて暮らし、そして数年後、穏やかに亡くなったのである。

鴫山にあった姫は、自分のような業病が集落にもたらされないよう祈り続け、青い石に法華経を書き記して祈願していた。姫の死後、残された青い石は村人によって積み上げられ、姫を祀る祠が造られた。それが現在ある姫塚である。

姫塚の中には一基の五輪塔が置かれており、これが姫の墓であるとされている。明治7年(1874年)に再建された五輪塔には「宝蓮院殿妙芳大禅定尼」という立派な戒名がつけられており、公卿の娘であったという伝説を裏付けているかのようである。

アクセス:愛媛県西予市三瓶町鴫山