一宮神社 小女郎狸

【いっくじんじゃ こじょろうたぬき】

呼び名こそ変わってはいるが、一宮神社は新居浜の一の宮とされる古社である。この神社には巨大なクスノキが相当数ある。その中でも「一番楠」と呼ばれる天然記念物の巨木は、幹周り9.5m、高さ29m、樹齢1000年超にもなる立派なもの。その根元に楠木神社という小さな祠がある。ここに祀られているのが“小女郎狸”である。

小女郎狸は、壬生川の喜左衛門狸・屋島の禿狸を兄に持つ、三兄妹の末妹とされ、伊予の狸族の名門と言われる。特に若い娘に化けるのが得意であるため小女郎狸と名付けられ(小女郎川の辺りの生まれのためという説もある)、眷属として一宮神社の宮司に代々仕えていた。

小女郎狸には有名な逸話が残されている。ある時、神社に奉納された初穂の鯛を1匹失敬したことで宮司から追放を命ぜられた。行く当てもなく浜に出ると、漁船の出港に出くわした。知り合いの慈眼寺の和尚に化けて船に乗せてもらったところまでは良かったのだが、船が釣り上げる大量の鯛に小女郎は心掻き乱されて、とうとう我慢しきれなくなって好物を食い散らかして正体を現してしまった。漁師達に見つかり危うく海に叩き落とされるところであったが、殊勝に謝ったために何とか許されると、そのご恩返しにと、小女郎は大阪に着くなり黄金の茶釜に化けて、これを売って食べた鯛の穴埋めをしてくれと漁師達に頼んだ。その後、元の姿に戻った小女郎は、若い娘に化けて道頓堀や千日前辺りを見物して回ったという。その姿は大阪の町でも一際目立ったらしい。さらに時を経て、小女郎は一宮神社に舞い戻り、今では楠木神社に祀られている。

<用語解説> 
◆一宮神社
和銅2年(709年)、大三島の大山祇神社より勧請。豊臣秀吉の四国征討の際に小早川隆景が焼き討ちにするも、それから約30年を経て、萩藩毛利氏が社殿を再築する(小早川家断絶など、身内の不幸が続くため、焼き討ちの祟りではないかとされたらしい)。西条藩松平氏の崇敬も厚かった。

◆喜左衛門狸
壬生川(現・東予市)の大気味神社の眷属。日露戦争の時に、小豆に化けて戦地に赴き、○に喜の字の入った赤い服を着た日本兵となってロシア軍を攪乱したと言われる(ロシアの司令官・クロパトキンの手記にその内容が記載されているらしい)。

◆禿狸
別名・太三郎狸。屋島寺にある蓑山大明神に祀られている。矢傷を負った時に平重盛に助けられ平氏に加勢、平氏滅亡後、屋島を本拠とする。かつて見た源平合戦の様子を術によって見せたといわれるほどの変化術の名手であった。

アクセス:愛媛県新居浜市一宮町