大気味神社 喜左衛門狸

【おおきみじんじゃ きざえもんたぬき】

大気味神社の祭神は大気都比売(おおげつひめ)神。神社の創建は新しく、宝永2年(1705年)にこの地方一帯が風水害や虫害によって飢饉となった時、村人が神の守護を願うために創建したとされる。

この大気味神社の境内にある大樹に住んでいたのが、喜左衛門という名の大狸であった。この狸は“四国三大狸”に数えられ、有名な伝説を残している。

ある時「金比羅様へ行く」と言って出掛けると、ちょうどそこで屋島の禿狸に出会った。早速化けくらべを始めた。禿狸は得意技である源平の壇ノ浦の合戦を再現して見せた。次は喜左衛門狸の番となるが、そこで数ヶ月後に大名行列を見せてやると約束した。当日、禿狸は約束の場所へ行くと、本物そっくりの大名行列が向こうからやってくる。感心した禿狸は近寄って行くと、いきなり護衛の侍に切られそうになる。這々の体で屋島に帰った禿狸であるが、喜左衛門狸はあらかじめ大名行列がそこを通ることを知っていて、一杯食わせたのであった。

悪戯好きであったが、大気味神社の眷属(神使=喜野明神)としての務めもよく果たした。ある時、神社の神殿が荒れはてているのを見て、人に化けて菊間町の瓦屋に屋根瓦を千枚注文した。ところが、そこでうっかりと狸であることがばれてしまい、窯に入れられて焼き殺されてしまったという。その後、しばしば不審火が起こり、喜左衛門狸の祟りだと言われたとされる(一説では、その時に喜野明神として祀られたとも)。

そして喜左衛門狸の逸話は明治時代までも続き、日露戦争にも出征したとの伝説が残る。小豆に化けて大陸に渡り、上陸するやいなや豆をまくように全軍に散っていき、赤い服を着て戦ったという。ロシアの敵将・クロパトキンの手記によると『日本の兵隊の中には赤い服を着た者が時々混じっており、いくら撃っても進んでくる。しかもこの兵隊を撃つと目がくらむ。赤い服には○に喜の字の印がついていた』とされる。

<用語解説>
◆大気都比売神
食物の神。『古事記』では、高天原を追われた素戔嗚尊が空腹に耐えかねて訪れた時に、食べ物を提供したとされる(ただし、自らの口や尻から食べ物を出していたために、怒った素戔嗚尊に斬り殺される)。また、国産みの中では四国の阿波国を指す名前として登場する。

◆四国三大狸
喜左衛門狸、屋島の禿狸、小女郎狸とされる。その名前は遠く上方にまで知れ渡っていたとされる。

◆屋島の禿狸
太三郎狸とも。佐渡の団三郎狢、淡路の芝右衛門狸と並んで“日本三大狸”とされる。平重盛に命を救われたために平家を守護。平家滅亡後は屋島寺の守護神となる。四国の狸の総大将にもなった。源平の合戦の様子を術で見せるのが得意とされる。

◆クロパトキン
1848-1925。ロシアの軍人。日露戦争開戦直前に、陸軍大臣からロシア満州軍総司令官となる。退却によって日本軍の兵站線を延びきらせて叩く戦術を取るが、失敗を繰り返し、奉天会戦での敗北によって更迭。第一次世界大戦でもドイツ軍と戦い敗北。ロシア革命時に拘束されるが釈放、余生はソ連国内で過ごした。

アクセス:愛媛県西条市北条