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唐糸塚
(からいとづか)
青森県南津軽郡藤崎町藤崎二本柳
 現在は「唐糸御前史跡公園」として整備されているが、その一画に塚がある。大きな松の木と周辺の板碑に目を奪われるが、松の木の根元にわずかばかりの土盛があり、塚であることが判る(公園内において塚のある場所は、柵で囲まれているため容易にわかる)。
 鎌倉幕府5代執権の北条時頼には、一人の愛妾があった。名を唐糸といった。時頼が唐糸を寵愛することは格別であったが、その一身の愛情は逆に他の側室の嫉妬を駆り立てることになった。その憎悪の烈しさのため、唐糸は時頼のそばに居ることに耐えられなくなり、鎌倉を去ることに(あるいは無実の罪を問われて鎌倉から追放されたとも)。離れがたい時頼はいずれかの再会を約束し、そして唐糸は陸奥国の藤崎の地にたどり着き、そこでわびしい暮らしをすることになった。
 それから歳月が過ぎ、時頼は出家すると旅の僧に身をやつして諸国を巡回する。やがて陸奥国にも時頼が訪ねてくるという噂が流れた。それを聞いた唐糸は、己の容貌の衰えたことを改めて感じ、この姿で時頼に再会することは叶わないとして、柳の池に自ら身を投げて命を絶ったのである。
 その後、時頼は藤崎の地を訪れ、唐糸の最期を聞くと、懇ろに供養して一寺を建立したという。
<用語解説>
北条時頼
1227-1263。第5代執権。幼少より聡明とされ、祖父である3代執権泰時の薫陶を受ける。執権になると、反北条勢力をことごとく排除し、北条得宗家による独裁政治を確立した。康元元年(1256年)に出家するが、政治的権力は保持し続けた。出家後は西明寺殿と呼ばれ、いわゆる“廻国伝説”が多く残される(出家による表面的な引退状態であるにもかかわらず、政治権力を保持したために発生した伝承であると考えられる)。
<関連伝承地>

唐糸塚


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