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しゃんしゃん馬の碑
(しゃんしゃんうまのひ)
愛知県名古屋市西区児玉3丁目
 児玉白山神社の南東そばにあるが、道が狭いということもあってかなり分かりづらい場所にある。この碑の由来にはかなり奇怪な話が含まれている。ただ詳細はほとんどなく、案内板に記載されている内容が全てとなっている。
 戦国時代のこと。白山神社の東に児玉という家があり、そこに一人の姫がいた。ある日、姫は他の娘と裁縫の稽古をしに押切(児玉の南にある集落)へ向かって歩いていた。するとどこかから馬が駆けてくる音がする。姫はよけようとしたが結局ぶつかってしまい、それが元で亡くなってしまった。ところが、他の娘達の誰一人として、その馬の姿を見た者はなかったのである。その後、児玉村から徴発された馬が戦場で死んだ知らせが入ってきたため、その“姿の見えない馬”の正体はその戦死した馬であろうということになり、その霊を慰めるために碑が建てられたとされる。
 この碑の様式は元禄年間(1688〜1704年)以降のものとされ、ちょうど児玉白山神社の創建とされる1700年代と同じと推測される。またこの神社では、昭和30年代頃まで「おまんと」と呼ばれる、馬を飾り立てて豊作や降雨を祈願する祭りがおこなわれていた。またこの児玉村は、戦国時代には丹羽氏の屋敷があったとされ、現在でも神社の南側には丹羽長秀の屋敷跡を示す石碑が建てられている。おそらくこの怪異譚は、これらの事実から生まれてきた伝説なのかもしれない。ちなみに、この石碑にお参りすると“歯痛”に効くという伝承も残されている。
<用語解説>
おまんと
尾張・西三河地方でさかんにおこなわれた祭礼。馬の背に依り代となる飾り馬具を乗せ、寺社に奉納する。あるいはそこから派生した駆け馬神事。“馬の塔”が転訛して“おまんと”となったされる。

丹羽長秀
1535-1585。織田信長の宿老として活躍する。丹羽氏は、武蔵七党の1つである児玉党の末裔が尾張国丹羽郡に移住し、さらに児玉村に移ったとも言われている。それ故、上の伝説に登場する“児玉”氏は、丹羽氏の一門か郎党である可能性が高いと言える。
<関連伝承地>

しゃんしゃん馬の碑


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