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大通寺 おとら狐
(だいつうじ おとらきつね)
愛知県新城市長篠
 おとら狐は、長篠城の鎮守の稲荷に住んでいた狐であり、よく人に取り憑いたとされる。“おとら”という名も、取り憑いたことが最初に確認された時に取り憑いた娘の名前から取られている。
 左目と左足(後脚か?)を負傷した容姿が特徴的であり、おとら狐に取り憑かれた人は、左目から大量の目やにを流し、左足を引きずるようになるという。その他にも超人的な動きをみせたり、生の魚を食らうなどの狐憑き特有の行動も取るが、おとら狐の憑依には左目と左足の異常が加わることになる。
 伝承によると、左目を負傷したのは、天正3年(1575年)の長篠の合戦の時に城で戦いを見物していたら、鉄砲の流れ弾が当たったためだという。左足については諸説あり、長篠城内で軍議を盗み聞きした時に障子に影が映って城主に斬られたとも、長篠に住んでいた林藤太夫という弓の名人に射られたとも、信州犀川で昼寝していたときに狩人に狙い撃ちされたとも言われている。
 長篠の合戦の後に長篠城は廃城となり、打ち捨てられたために、おとら狐は怒って近在の人に取り憑くようになったという。その初めが、城の近くに住む分限者の娘・おとらであった。それ以後も近在の者に取り憑いては、長篠の戦いの様子を語ったり、自分の身の上話をしたらしい。またおとら狐には孫娘がいて、この狐も“おとら”を名乗り、20世紀初頭ぐらいまで人に取り憑いたという。
 おとら狐を祀る城藪稲荷神社は長らく長篠城本丸跡にあったが、平成18年(2006年)に大通寺の一角に移転している。
<用語解説>
長篠城
永正5年(1508年)菅沼氏によって築城。武田信玄の侵攻と撤退の中で、徳川家康の家臣に寝返った奥平信昌が城主となる。天正3年(1575年)、武田勝頼は信昌の裏切りに激怒し、大軍を率いて城を攻めた。これが長篠の合戦の端緒である。翌4年に信昌は新城城に移転して、長篠城は廃城となった。
<関連伝承地>

城藪稲荷


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