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福田寺 武田信玄の墓
(ふくでんじ たけだしんげんのはか)
愛知県北設楽郡設楽町田口
 武田信玄は、元亀4年(1573年)の野田城攻めの際に病を得て、西への侵攻から一転して甲府へ戻る途中、信州の駒場で亡くなったとされる。しかし自らの死を隠すことを遺命としたために、その撤収の最中のいつどこで亡くなったのかは明らかにされていない。そのためか、奥三河から信州にかけての何箇所かに、武田信玄の死にまつわる伝承地が残されている。設楽町にある福田寺にも、武田信玄の墓と称するものが残されている。
 福田寺に伝わる話としては、信玄は野田城攻めの時に病が重くなって甲州へ戻る途中、この福田寺に立ち寄ったが、ここでさらに重篤となって病没したとされる。ただ寺伝などの古文書は焼失しており、あくまで伝承の域を出ない。
 信玄の墓と呼ばれるものは、屈指の戦国大名のものとは思えないほど小さく簡素なものである。またそのそばには馬場美濃守の供養塔もあるが、こちらもかなり小さなものである。
<用語解説>
信玄の転回のルート
信玄が西上から転回した野田城、そして死去の地として最も有力な信州駒場(現・長野県阿智村)を直線で結ぶと、福田寺のある設楽町近辺がその途上にあることが判る。この地で病没したかは不明ではあるが、信玄の本隊がこの福田寺に立ち寄った可能性は少なからずあると考えるべきであろう。

馬場美濃守
1515-1575。馬場信春あるいは信房。武田四天王の一人で、信玄時代は主力の騎馬隊を率いて武功をあげる。天正3年(1575年)の長篠の戦いで総崩れの武田勢にあって最後まで戦い、殿軍として総大将の勝頼の退却を見届けた後、敵軍に突撃して討ち死。
<関連伝承地>

信玄の墓

馬場美濃の供養塔


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