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大鷲院
(だいじゅういん)
愛知県豊田市新盛町
 “日本三大猫騒動”といえば、鍋島騒動、有馬騒動、そして岡崎の猫騒動となる。鍋島と有馬の猫騒動は史実に基づいた部分があり、藩主が怪異に巻き込まれるなどのまことしやかなお家騒動によって構成されている。しかし岡崎の猫騒動はあくまで創作であり、文政10年(1827年)に歌舞伎の演目として鶴屋南北が作った『独道中五十三駅』に登場するエピソードがその中核となっている。
 この『独道中五十三駅』は、元々しっかりとしたストーリーがある作品ではなく、各場面ごとに趣向を凝らした演出で人気役者(初演では三代目尾上菊五郎)が活躍することが目的で作られている。そのために芝居に掛かるたびに内容が少しずつ変更されることになるのだが、岡崎の化け猫のくだりだけは人気が高く、繰り返し演目に取り上げられている(それでもディテールは相当書き換えられている)。
 お袖は、姉のお松を捜して乳飲み子を抱えて夫と共に旅に出る。途中、岡崎で休むところを探していると、幼なじみのおくらに出会い、宿場はずれの古寺に案内される。そこには十二単を着た亡き母がいた。実はその亡き母親は化け猫であり、行灯の油を舐めている姿を見てしまったおくらを殺す。一方のお袖と夫は、お松の幽霊と出会い、夫の前の思い人がお松であり、その思い人が姉とは知らずに嫉妬してお袖が呪いを掛けたのがきっかけで死に至ったことを知る。事が露見して離縁を言い渡されたお袖はその場で亡くなってしまうが、その時障子の奥から手が伸びて、お袖の遺体と乳飲み子を引きずり込んでしまう。そしてお袖の老母は夫の前で化け猫の正体を現し、自分が猫石の精とお松の怨念が合体したものだと言い放って消え失せる。あとは猫の形をした巨石と茅原が残るのみ。そこへお松の遺体が運び込まれると、一転、猫石は再び化け猫に化身して、遺体を引っ掴むとそのまま宙を舞って消え去ってしまう。
 この荒唐無稽な展開であるが、モチーフとなるような伝承が旧・足助町にある。曹洞宗の古刹である大鷲院である。この寺の裏山は霊場として整備されているが、多くの巨石が点在している。その中での最も大きな石の1つとされる八丈岩に、化け猫にまつわる伝承が残されている。
 大鷲院の住職が、檀家の葬儀に行ったときのこと。空に突然暗雲が立ちこめ、嵐となった。いきなり住職は棺にまたがり、ある一点を睨み上げた。すると天空から化け猫が棺めがけて襲いかかってきたのである。住職が払子で顔面に一撃を加えると、化け猫は退散し、嵐は止んで嘘のように天候が回復した。寺に戻ると、飼い猫が顔を腫らしていた。先ほどの化け猫の正体がこの飼い猫であると悟った住職は、飼うことが出来ぬと追い払った。猫は裏山に行き、この八丈岩に足跡を残していずこともなく消えていったという(あるいは住職がこの八丈岩に封じ込めたとも)。
 大鷲院の化け猫伝承と「岡崎の猫」に登場する化け猫とは、遺体を狙ったり宙を飛び交う能力があるということで同種のもの(おそらく“火車”と分類される妖怪の類)であると想像できる。また猫石と八丈岩にもかなりの共通の役割があることもうかがうことが出来る。大南北が意図して組み入れたのか、あるいは偶然の産物なのか、それを明瞭に示す資料はない。
<用語解説>
『独道中五十三駅』(ひとりたびごじゅうさんつぎ)
文政10年(1827年)初演。四世鶴屋南北作。初演の内容では、化け猫が登場するのは鞠子宿となっている(鞠子と岡部の宿の間にある宇津ノ谷峠に「猫石」も存在している)。推測するに、岡部と岡崎の宿場名が混同して、いつしか岡崎の化け猫話として定着したのであろう。また岡崎宿のはずれにある古寺は無量寺と称され、この名前を持つ寺院も実際に宿場はずれとおぼしき場所に存在する。
ちなみに同じ南北の作品である『東海道四谷怪談』は文政8年(1825年)初演。また他の化け猫騒動の歌舞伎演目は、嘉永6年(1853年)に公演予定するも中止となった『花埜嵯峨猫魔稿』(鍋島猫騒動)、明治13年(1880年)初演の『有松染相撲浴衣』(有馬猫騒動)がある。

鶴屋南北(四世)
1755-1829。歌舞伎狂言の作者。45歳で立作者となり、それ以降、数多くの作品を発表する。特に怪談物で名を成す。
<関連伝承地>

大鷲院


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